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2006年8月28日 (月)

本田くん生放送

 我が娘、とくに長女のサッカー熱はいっこうに下がらない。

 昨日は、部活(水泳)の試合があったにもかかわらず、終わった後、グランパス対G大阪の試合にダッシュする兵に成長しています。昨日グラは、前半はお見事でしたが、後半はバテちゃいましたネ。

 我が子たちは、24時間テレビのKAT-TUNなんて興味なし。。。長女が特に好きなのは、グランパスの19の杉本恵太選手と24の本田圭介選手。(ジェフの巻選手と阿部選手、サンフレッチェの佐藤寿人選手もらしい。)練習後の選手ファンサービスにも何回も行ったし、7月16日には、選手ふれあいパーティ”GRAP”にも行ってる。。。もちろん、私を付き添いで。

 さて、今日のお昼ごろ、長女からメールが来ました。「今日の本田くんが出る公開放送を見に行きたいんだけど。」午後6時10分からのNHK名古屋「ほっとイブニング」の公開生放送のゲストが本田くんだというのは、前々から聞かされていましたが、おぉ、とうとう行きたいと来たかぁ。。。長女のサッカー熱は勉強をさせる餌なので、「今日の勉強予定がちゃんと終わったら。」と返信。どうもそれから、必死で残った宿題をやったらしく、午後4時過ぎに予定のものが終わったというメール。まぁ、うちから20分くらいのところなので、行ってやるかと。

 生放送は運よく椅子に座ることができ、ゆっくりと楽しみました。放送後、本田くんにサインしてもらい、いっしょに写真を撮って、ルンルンと帰る娘たちでした。夏休み最後にいい思い出ができたと言っていました。この夏、GRAPに始まり、今日の公開生放送で締め?あと3日、宿題片付けと休み明けのテスト勉強のラストスパートなんですって。

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2006年8月22日 (火)

これまで

すご~い久しぶりです。

 何から話していいやら。。。やっぱり、父の話を残そう!

 昨年の5月、父は腎不全から水が体に溜まり、心不全を起こして入院していました。体から水を抜く、透析のような治療のおかげで無事に退院となりました。7月19日のことでした。しかし、父の認知症が顕著になってきていました。退院して間もないころに、処方されている睡眠薬20日分を全て飲んでしまい、救急車で運ばれるということもありました。主治医からは一人暮らしは無理ですよ、と言われました。が、すぐに対応できず、弟と交代で通って看ることにしていました。介護認定も受け、1日おきに母が入所している老健に通い(行きは弟、帰りは私)あとの半分は送迎付のデイサービスに通って、老人配食サービスを利用し、苦肉の策をもって父の生活を支えました。

 寒くなってきて、父の行動は益々心配になりました。ときどき、夜中に電話をかけてくるし、ファンヒーターの灯油が異常に減っているし、薬の減り方も異常。。。火事で一人暮らしのご老人が亡くなられたニュースがあると、他人事じゃないなと思っていました。一度脳神経科で診てもらったこともありました。アルツハイマーではなく、脳梗塞による脳血管性の認知症ということでした。。。ある日、私の旦那が「うちへ連れてこよう。」と言ってくれました。父も住み慣れた家を離れることを了承して、今年の2月に父は我が家に来ました。

 さぁ、来てからは、父の認知症と直面することになりました。わかっていても、妄想・徘徊・順序がわからない・・・などの異常行動に、腹を立てては反省する日々でした。このことは、また別にゆっくり書き記すことにして。。。

 6月17日、数日前から下血があり、量の多さに異常を認めたデイサービスの看護師さんの薦めもあって、すぐに病院へ連れて行きました。ちょっと診てもらうだけのつもりだったので、父が16年通っていた病院ではなく、私の所へ来てから通い始めた病院です。この頃、夏休みの間だけでも母のいる老健に入所させようとしていました。入所どころか、即入院となってしまいました。検査が必要ということで。。。入院?きっと認知症はまた進む。。。老健に入所できる程度の健康を取り戻してくれればいいけど、そうでなかったら、有料老人ホームか療養型病床か。。。そう考えていました。

 続きはまた

 

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